建築の眼 JAZZの耳 ; tetsuyakimura_weblog

木村哲矢建築計画事務所 木村哲矢 が  見たこと 聴いたこと 感じたこと

アンチゴーヌ

素晴らしかった
ここまで舞台に入り込んで魅入ったのも久しぶり

舞台「アンチゴーヌ」を観てきました

お芝居には、物語が面白い セリフに魅かれる 役者がいい などいろいろと魅力がありますが
ともかく今日のこの舞台は 役者の生身の圧倒的な力 に尽きました
余分なサーヴィス精神(?)も一切ない ともかく直球勝負の物語りでの しぐさ・表情・動き・セリフ
そして それを肌でじかに感じ 飲み込まれることを可能とするのは 四つの島状の客席が囲む十字形の舞台
そこに置かれた二つの椅子があるのみ 余分なものは一切ありません
役者の存在そのものしかない
蒼井優 と 生瀬勝久 の二人を中心に ともかく濃密な空間・時間

感情・本音に誠実であり続けようとするために命をも落す アンチゴーヌ
王ゆえに 大人ゆえに 制度・建前に忠実であろうと苦悩し命を奪う クレオン
そして 本音も建前もなく 言われるままに安穏な日々を流す 衛兵(に代表される一般市民?)
大人になること は 果たして 制度・建前 に心と身体をゆだねてしまうことなのか・・・

物語り後半での 蒼井優と生瀬勝久との息をもつかせぬセリフの応酬
法で裁かれる側のアンチゴーヌが クレオンを人として裁き追い詰めていくさまはまさに鳥肌ものの迫力でした
そして 十字形の舞台が十字架を思わせ 途中その舞台の交点に蒼井優がうつ伏せに両腕を広げ十字となって静かに伏せて
十字架に十字架が重なって見える瞬間には はっとさせられます
交差する二本の直線状の舞台は 離れて対峙する役者を舞台間近に設けられた客席からは同時には視野には納めきれない
その距離感も素晴らしく効果的でした

緊張感が一瞬たりとも途切れることなく
途中休憩なしの 濃密な2時間10分
あまりに見入りすぎてしまい
観おわった後はしばし ぼぅー として虚脱感・・・
現実に還るのに時間がかかりました

antigone.jpg
  1. 2018/02/12(月) 19:03:05

上方文化講座2017 「祇園祭礼信仰記」

すっかりと記載が遅くなってしまいました
すでに10月
ですが 今年も夏の終わりの三日間、受講してまいりました 上方文化講座

しかし・・・
すみません どうも今年は印象が薄い

やはり 「祇園祭礼信仰記」 になじみがない ということがあったのだと思います
加えて技芸員の皆さまも 今年は割とおとなしかった?

馴染みがない 「祇園祭礼信仰記」 ですのでなおさらそれなりに(!)予習は重ねて講座には臨みました
図書館にも関連書や床本が見当たらなかったのですが 幸い 咲甫太夫さんのサイトに 鳶田の段・是斎住家の段・金閣寺の段・爪先鼠の段 の掲載があり (http://www.sakiho.com/Japanese/bunraku/scripts/gionsairei.html) それらを読んで
 さらに歌舞伎のサイト (歌舞伎演目案内 http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/338 歌舞伎への誘い http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04_08.html) で 概要や人物の相関、見どころなどを事前にチェック

さて 今年も最初に文楽案内と題した概論講座的な授業があり 今年のテーマは
曲風・大道具など
床本を読む際に 「詞」とか「地」とか「ハル」「フシ」とか脇にふってあるアレです
が 実際の浄瑠璃の録画録音を解説を添えて聴いても 音痴の私にはどうもよくわからない・・・
西風・東風 と言われても ウーーーン? の有り様です
人形浄瑠璃文楽は 見るもの か 聴くものか という話が2-3年前の講座でもありましたが 素浄瑠璃の公演にも足を運ばず お芝居の世界から文楽に頭を突っ込んだ私としては 聴く浄瑠璃はまだまだ到達できぬ奥深い世界です
昨年は芝居小屋の話しで建築畑の私には喰い付きのよいテーマでしたが その分今年は ??? での幕開けとなりました

一方音痴の私でも さすがは太夫さんの人物の語り分け
人形浄瑠璃は床本を読んでいても いったいこれは誰のセリフ? と分からなくなることが多いのです
現代演劇の戯曲では 台詞とト書きがきちっと分けられ 台詞も 誰 のセリフかが明記してありますが 文楽の本ではこれがさっぱりわかりません 私が眼にする講座のテキストなり古典文学集成などの本では ルビや句読点が打たれたり改行されたり と随分と分かりやすくしてあるのですが それでも 誰のセリフか というのは話しの流れの中で読み解くほかなく・・・
けれどもこれを太夫さんの語りで聴きますと 一人一人の登場人物がしっかりと語り分けられますので 聴いていて素直に理解できます
今回の 「祇園祭礼信仰記」 では 特に碁立ての場面 テンポよい台詞の応酬が面白いのですが 語りを聴くまではちんぷんかんぷんでした・・・

さて
金閣寺の大きなセットが上下する 「祇園祭礼信仰記」 ということで設けられたもうひとつのテーマ 大道具
やはりそれなりの大仕掛けなので文楽では上演の機会が少ないのだそうです
今回歌舞伎で予習したのですが 確かに歌舞伎ではセットが派手に動くものをよく眼にします これが可能なのも歌舞伎の高い観劇料とそれを支払うお客の多さ?
文楽って歌舞伎に比べると随分お値打ちですからね
今年の夏の大阪は 大阪が舞台の夏芝居 「夏祭浪花鑑」 が歌舞伎と文楽とで揃って上演されまして いずれも観に出掛けたのですが (前に書きました
三階席で観た歌舞伎よりも 友の会で買った最前列中央舞台かぶりつき席の文楽の方が はるかにお安い!
考えてみれば 例えば一般の演劇の場合は 2時間ほどの上演で約一万円
上演時間の長い文楽って時間当たりの単価を考えると驚くほど安い 友の会ならなおさらで 一万円未満で朝から晩まで文楽漬け 通し狂言が観れてしまいます
大掛かりなセットがつきもののオペラやミュージカル (同じ生演奏付でも文楽よりもはるかに演奏者も多い!) となると バカにならない制作費の元を取るため ン万円のチケットに 劇場も 2000-2500人!収容で かつ ロングラン
それに対して国立文楽劇場は 731席 東京の国立劇場小劇場では 560席 と こじんまりしています
ちなみに 歌舞伎の大阪松竹座は 1033席 2階3階がある分席数が多くなっています
なるほど これでは確かに興行面では文楽公演では大掛かりなセットは打ちづらいでしょうね・・・
大道具から とんだ生臭いところに話がそれてしまいました

ついでながら 最終日の技芸員さんのお話しの中で 津駒太夫さんが
「国立劇場小劇場のほうが国立文楽劇場よりも音がよく 演っていて楽」 
というようなことを話されていましたが 音響設計云々もさることながら まずは劇場の容積 (気積) が影響あるでしょうね
もうひとつ 津駒太夫さんの音の響きにかかわるお話し
講座の開かれる教室に設けられた仮設の床には 背景に金地の衝立が立てられています
場としての視覚的な効果のものだとずっと思っておりましたが これがあるとないとでは音の響きがまったく違うのだそうです
見た目にもそれはあるとないとではまったく違いますけれど・・・
しかし音響効果上必須の反響板だったとは!
受講を始めて ウ年目にして初めて知った新事実でした

その津駒太夫さんを恨めしそうに見つつの清介さんのお話し
「大夫さんは床本を見ながら語られるのに 三味線弾きは全部暗譜・・・」
音曲だけでなく 語りの床本もすべて覚えられるのだそうですが この理由や経緯については定かではなく
「何や知らんけど 昔からそうですねん」 とのこと
清介さんによれば 三味線弾きとは昔は盲目の人で それでそうなったんでしょうな ということでしたが
検校さんとか瞽女さんとか お琴三味線みな目の不自由な方々でしたね その流れなのか・・・

技芸員さんのお話しの中ということでは 勘十郎さんの 爪先鼠の話しが興味深かった
縛られた雪姫が 足で桜の花びらをかき集め 爪先で鼠の絵を描くとそれが本物の白鼠となって 雪姫の縄目を喰いちぎる というくだりです
人形浄瑠璃の女の人形には足がなく 足遣いさんが着物の裾の中の「ふき」を指ではさんでさも足があるように見せかけるのですが この足の爪先で鼠を描く場面 となると当然観客の視線も足先に集中
過去 八百屋舞台 (前傾の舞台) にして鼠を描くところを見やすくしたりとか 女の人形にも足をつけて描いて見せたり という演出をしたこともあるそうですが 勘十郎さんは やはり足を使うのは好きではない と・・・
そして実演でも足を用いずの演技でした
足が見えないのに けれども 足の爪先で花びらを集めて鼠を描く
これがやはり何とも言えず美しい
実際の足先が見えて鼠を描かれるよりも はるかに観客の心にはうつくしく描き出される そう感じました
見せるのではなく 見せないことでよりうつくしくくっきりと描きだす まさしくお芝居ならではの魔法です
また この場面での雪姫は縛られていますので手の自由がききません
手を使わずに 顔の向き 身体の傾き加減 のみでのむつかしい演技 ということなのでしたが 切なさに溢れてとてもとても見応えあるものでした

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大学のYouTube公式チャンネルでの上方文化講座2017は下記をどうぞ
https://youtu.be/h0Lu2F1gg4I
  1. 2017/10/03(火) 19:23:37

「夏祭浪花鑑」

今年の夏大阪では 浪速が舞台の夏芝居 「夏祭浪花鑑」 が歌舞伎と文楽とで揃って上演されました。上演の段も同じ
住吉鳥居前の段
釣船三婦内の段
長町裏の段
舞台となる下寺町高津宮は大阪に出てきた頃に住んでいた辺りです。住み始めた頃の住所は確か南区中寺、谷九交差点から高津神社に向かって入ったあたりで、当時国立文楽劇場は工事中で、そのすぐ裏の銭湯に深夜に通っていたものでした。背中がカラフルな人も多く独特の雰囲気でした。

昼の歌舞伎と夜の文楽と 同日に通して観ようかとも思いましたが、歌舞伎から文楽までの間 中途半端に時間が空いてしまうのでそれをやめて別々の日に見ることに・・・。
いずれも以前にも観たことがありましたが、改めて今回は歌舞伎と文楽と、それぞれの台本を図書館で借りてきて事前に読んでの観劇。それぞれの役者がセリフを述べる歌舞伎と、基本的には一人lの大夫さんが語る文楽 (長町裏の段では二人で義平次と団七とが語り分けられます) とでは台本からして既に趣が異なっています。

そして実際の観劇
先に見ましたのが松竹座の七月歌舞伎、その後に国立文楽劇場のサマーレイトショーという順。
義父殺しの場面である長町裏の段、
生身の人間が演ずる歌舞伎では凄惨な場面をリアルに演ずれば観るものにとってしんどいのでしょう、残忍で凄惨な場面も様式化され動きにもたっぷりと間を取り美に昇華しています。一方の文楽では、人形が演ずることがあって生々しさが当初から軽減されるからでしょう、却って余すところなく凄惨さや人物の感情がリアルに描き出されます。
人間ならではの歌舞伎では義平次は泥にまみれ、団七は本物の水をかぶって身体を洗い流します。人形の文楽では斬られた義平次はずたずたぼろぼろになり、放り投げられ亡骸は無の状態になります。
池と井戸の舞台上の配置も歌舞伎と文楽とでは異なり、動きも文楽の上手下手間の平面的な動きに対して、花道を存分に活かした歌舞伎ならではの立体的な動き。
住吉鳥居前の段でも白旗(=褌)を忘れた場面や佐賀右衛門の体をあしらっての道案内など歌舞伎には観客を楽しませるような演出が加えられていますが、元となる文楽の方では実に淡々と簡潔に無駄なく物語が進行していきます。

それぞれを見終えて
欲を言えば見せ場の段だけではなく物語全体を通しで観たかったかな。以前に観た愛之助さんの舞台では通しで物語の全貌を楽しめました。
チケットの高い歌舞伎は3階席から観て、友の会にも入っている文楽は最前列中央で観て、という違いもあるでしょうけれど、歌舞伎は楽しんで観て、文楽では惹き込まれて観た、という印象です。
ともかくも 双方の持ち味を楽しむことが出来てよい夏です。

松竹座201707松竹座201707-2natsumatsuri_kabuki.jpg
松竹座のチラシ劇場前のポスター掲示
道頓堀の夜景の映り込みが大阪らしい
松竹座正面に掲げられた「夏祭浪花鑑」の芝居絵
夏祭浪花210707-1夏祭浪花210707-2natsumatsuri_bunraku.jpg
文楽のチラシは 徳兵衛女房お辰
この人形は 簑助さんが遣われました
さすがにご高齢も感じます一方見惚れもしました
夏公演で配られた団扇は 団七九郎兵衛
団七 の頭(かしら)は 団七 ではなく 文七
ややこしい・・・
国立文楽劇場に掲げられた「夏祭浪花鑑」の芝居絵


歌舞伎は 昼の部・夜の部を同日続けて観たのですが、夜の部の 「盟三五大切」
これがまた素晴らしかった
深夜 窓から入る源五兵衛(=片岡仁左衛門)の姿・振る舞いや
落した小万の首を持ち帰っての食事 脚本ではお茶を首にかけるのですが 舞台では口元に箸で食事を運んで ・・・ !!!
ゾクゾクして魅入りました

***

昨日は鴻上尚史さんの 「ベター・ハーフ」 を観てきましたが、よかった!
観ながら 鴻上さんって うまいなぁ とつくづくと感じました。
物語りがとても巧みに面白く組み立てられ、サーヴィス精神にも溢れ、そしてとてもテンポよく進んでいきます。
美術(松井るみさん)もジグソーパズルのピースをあしらったもので、ベター・ハーフという意味を見事に表現し、映像のピースがバラバラに崩れ落ちる様などもとても印象的でした。
第三舞台のお芝居ってあまり観ていなくて、このところもっぱら 鴻上尚史=cool japan な私ですけれど、お芝居の中でもチラリと Cool Japan 云々 って出てきまして こんなところにも鴻上さんの愛嬌を感じてしまいました。
  1. 2017/08/06(日) 17:12:11

「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」 展

奈良国博の 特別展 「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」 へ行ってまいりました。
会期末に近づいて たいそうな混みよう、仏像の展覧会って地味なイメージでもっと空いているのかと思っていましたので、会場に入ったとたんに ちょっと尻込みしてしまいました・・・

仏像のどうこうというのはよくわかりませんのですが、どれも優美で美しく、敬虔な気持ちにさせられます。
快慶 というと私にはやはりどうしても東大寺南大門の金剛力士像の猛々しいイメージが強いのですが、数多くの阿弥陀如来像の優美な姿に魅せられました。

そして仏像の造形云々よりも一番魅入ってしまいましたのが、展示の照明!
仏像は、堅苦しいことを言えば鑑賞の対象ではなく信仰の対象であり、本来的にはお寺の堂宇の中で掌を合わせて拝ませていただくもの なのでしょうけれど、お寺の中では仏さまにもそれほど近寄っては見れませんし、何よりも薄暗い!
それに対しての、美術館での仏像の鑑賞 ということの醍醐味が存分に味わえる展覧会でした。
間近で見ることのできる仏像は、それぞれにそれに相応しい色味をおびた (と感じてしまったのですが、色温度それぞれだったのですよね?背景などの色彩の違い?) LEDの小さな照明でさまざまな方向からまんべんなく照らし出され、仏像のこまやかな質感が見事に浮かび上がっています。ため息が出てまいります。

会場を出た後引き続き、本館のなら仏像館にも立ち寄ったのですが、快慶の作法とか特徴とか とんと心得ぬわたくしでも、先ほどまで眼にしていた仏さまとは随分と様子勝手が違うなぁ と納得・・・

それにしても 仏像の展覧会
会場では、一つ一つの仏像に手を合わせてから鑑賞される方も何人もいらっしゃいました
そのようなお姿にも魅入ってしまう展覧会でありました

20170603kaikei.jpg
  1. 2017/06/04(日) 07:09:39

チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル

寒い!本当に寒い!
ここ箕面にも雪が積もりました

外はそんなにも寒いけれどホールの中は熱かった

今年もまだ始まったばかりなのですが、すでにして今年最高のパフォーマンスのひとつに出会いました
チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル ~第17回ショパン国際ピアノ・コンクール優勝記念~

奏者の気迫もただならぬものであれば、聴衆もまた一音たりとも聴きのがさじとばかりの集中力、ホール全体がものすごい緊張感に包まれていました
演奏が終われば割れんばかりの拍手の中、ピアノから立ち上がる姿には初々しい可愛らしさも感じられますけれど・・・
超一流というのは一体どのようにして生み出されるものなのか
ともかく圧倒的な演奏会でした

cho seong-jin (2)  cho seong-jin (1)

  1. 2017/01/15(日) 18:53:51
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