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木村哲矢建築計画事務所 木村哲矢 が  見たこと 聴いたこと 感じたこと

上方文化講座2015 「奥州安達原」

今年も夏の終わりの三日間、大阪市立大学文学部の上方文化講座を受講してきました。
今年の演目は「奥州安達原」、昨年11月に国立文楽劇場で上演された演目です。
観劇の際には事前にあらすじなどを、と思ってもその類の本が見当たらず難儀した覚えがありますが、今回の受講に際してはその折の公演パンフレットと床本が重宝しました。

「奥州安達原」
奥州安倍一族の再興を企てる物語、というと壮大で勇ましいお話のようですが、いやはや・・・
皆様口々に
ともかく暗い、幸せになる人が一人もいない、全員泣いている・・・と
レジメにも、「全段にわたって救いのない親子の悲劇」とあります。

昨秋観劇した際には
袖萩の哀れさと、涙を絞るお君の健気さ
老女岩手の不気味さ怖さ
ばかりが強く印象に残りましたが、今回の受講でようやく全体の筋がわかりました。

安倍一族の再興もならず、全ての企みを八幡太郎義家は当初からお見通し
というよりも、すべてが義家の手のひらの上での出来事のようで
であれば無念のうちに次々と亡くなる哀れな親子、死ななくても済む道があったのではないの?
つまりは観客を泣かせるために次々と死なせた作者近松半二、ということでしょうか・・・

今年の講座では
最初に「文楽案内-浄瑠璃史と今日の文楽-」と題した概論があり、これがとても興味深いものでした。
文楽の成立からその上演方法、舞台の変遷、上演時間や料金に至るまで、とても丁寧にわかりやすく解説、歌舞伎や昔の浄瑠璃の記録映像なども交えて、予定よりも結構時間を割いてお話しいただいたようですが、できればもう一度、もっともっと時間をかけて聴きたい講義でした。これだけで3日間丸々の集中講義でもまだ足りないと思わせるものです。映像資料なども時間をかけて観てみたい、なかなか他では観ることのできない希少な映像ですし、能・歌舞伎などと文楽との類似差異の解説も上演映像を交えてで、一層興味深く拝見しました。

歌舞伎との比較は今年の講座では度々取り上げられ、最終日の技芸員の方々への質疑でも質問がありました。
人形が演ずる文楽と生身の人間が演ずる歌舞伎など他の芝居との違い・・・は?

津駒太夫さんは、人間ではできない動きや歳を取らないことなど人形ならではの特性、何よりお芝居は虚構の世界を描くもので、現実の人間よりも人形のほうがふさわしい、と。
清介さんも、歌舞伎では芝居の中に生身の役者が出てしまう、素の人間を観てしまうことを挙げられました。
司会の先生はそれを、「生身の人間は、既にいろいろなものをまとっているので、お芝居の中ではある場合それが邪魔になる」とまとめられました。
役者を観ることも芝居の魅力の大きな要素である面もありますが、客観化抽象化された人形がお芝居の中でその物語に応じた表情性格をまとっていくというのが文楽ならではの魅力なのだろうと思います。あるいは、あれほど生き生きと生きているかのような人形がひとたび動きを止めると一切の気を消す、まさに人形ならでは。生身の人間では気を消すなんて「消している演技」が出てしまいますものね。

毎年ながらですが、今年もまた一段と清介さんは絶好調
勘十郎さんが思わず、「文楽劇場だけでなく繁盛亭にも・・・」と仰りましたが、
日本人論に至るまで、口三味線も交えてとどまるところを知らない大進撃、恐るべしその話芸

「奥州安達原」については津駒太夫さん曰く、ともかく曲が素晴らしい、と。私はそれがわかる域には達せず、残念ながら・・・。
清介さんも曲がいいのでつい気持ちよく美しく弾いてしまう、が、袖萩が凍える雪の中破れた三味線で泣きながら弾く場面では、抑えて下手に汚く弾かないといけない、と・・・
勘十郎さんの解説では、盲目の人を遣う際の人形の目線。なるほど・・・健常の人とはズレた目線で盲目感を出せるのはわかりましたが、生まれつきの盲目と、途中から視力を失った人との遣い分け(!)、奥が深過ぎ・・・
目線に関しては子役についても、必ず目線が上に行くように遣うことで子役らしさが出るとのこと。いやらしいほど頭(かしら)を傾けることで可愛らしさも出すのだそうです。
そのお君が、両手で雪をすくって体温で溶かし袖萩の口に含ませる場面では、“冷たい”雪をすくうという凍えたさまを出すのが肝要とのこと、私たちは何気なく見ていますが、ひとつひとつの仕草への細かな細かな気配りの積み重ねで人形に生身の人間以上のものを観ているのですね・・・。
同じ老女でも、浜夕と岩手での姿勢や足遣いが異なったり・・・
興味深いところでは袖萩の哀れさの表現で、
静かに音を出さずして表現する哀れさ に対し、激しく足拍子を打って、けたたましい音で表す哀れさ という話し、深いですね・・・

初めての演目に際しての稽古の仕方についてもお話がありましたが、大夫さんが床本を書き写してつくることから始められるのはよくわかりますが、三味線・人形遣いの方々もやはりそれぞれにふさわしいやり方で本を作り、浄瑠璃をすべて覚えて語れるようにした上で、三味線の方は手が勝手に動くようになるまで、人形の方は自身の身体で踊りを重ね覚えさせたうえで人形を、とのこと。頭に体に染み込ませる過程など興味深く拝聴。

   * * *

ところで、文楽とこの上方文化講座を取り巻く環境
文楽のみならずすべての文化・教育事業への大阪市の冷徹な姿勢のなかでも象徴的な形で吹き荒れた文楽助成打切り問題、関係者の方々の尽力で 中之島文楽・にっぽん文楽 など新たな展開も見せていますが、技芸員の方々は口々に行く末の危惧・裾野の拡大への努力を語っておられました。
府・市二重行政解消の一環での府立大・市大統合問題、春の住民投票の結果大阪市も今の形での存続が決定し、大学統合も見送られたかと思いきや、ここ最近いきなり豹変の大阪都構想再浮上、またまたあやしな雲行き・・・?
加えて文科省の人文系・教員養成系学部統廃合の通達、人間の根幹にかかわる分野を国がわざわざその軽視を表明するなんて、訳が分かりませんでした。文系不要論のような極端な報道のされ方もありましたが、あれは何?そもそもが大学というところは目の前の結果よりもそのもうひとつもふたつも深いところのために存在していると私も思っているのですが・・・?大阪市長の文化と青少年教育分野への執拗とも思える攻撃と結果(=利益)直結重視をよもや国レベルでも?

大阪市立大学文学部主催のこの講座も多難続きです。
そんな状況の中、今年の講座も充実した内容のうち受講を終えさせて頂くことができ、来年の開催も予告されました。

講座を終えて過ぎ行く夏を感じていました例年ですが今年は・・・
あの暑かった夏はどこへ行ったことやら、お盆を過ぎたあたりから光線は劇的に秋の様相を帯び、残暑の気配もなくすっかりと涼しくなりました。

kamigatakouza2015.jpg
  1. 2015/09/06(日) 07:00:23
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