建築の眼 JAZZの耳 ; tetsuyakimura_weblog

木村哲矢建築計画事務所 木村哲矢 が  見たこと 聴いたこと 感じたこと

2017 新年度

今日4月3日は新年度の実質の始まり というところが多いでしょうね
わたしのような個人の設計事務所では、新入社員とか年度の会計処理とかそういったものに縁がなく、しかも事務所を大阪都市部から移転すると新入社員の姿を街で見掛けることもなく、昨日までの続き・・・という意識を引きずり勝ちです
特に今年は桜の開花が遅く、大阪でもつい先日開花宣言はあった模様ですが、箕面の桜並木はまだまだつぼみ堅し で新入学気分も薄く・・・

けれども、今朝は青空が広がり暖かな春の陽気で、新年度のスタートに相応しい日和
縁がないからこそ、自ら節目節目を意識していかないとずるずるとした惰性の日常に陥りがちです

そんなこともあって今朝は意識して事務所までの道のりをフレッシュな気持ちで(?)時間をかけて歩きました

P_20170403_081816.jpg
早咲きの枝垂桜が昨日あたりからようやく開き始めました

P_20170403_082057.jpg
新たな年度の初詣の気持ちで神社にお参り

P_20170403_083951.jpg
陽だまりですっかりくつろぐねこさん

P_20170403_085104.jpg
歩車道間の植え込みのハナニラ 写真は光線が強くて飛んでしまいましたが 可憐で青い色が美しい

P_20170403_085156.jpg
アスファルトの隙間からはタンポポ

P_20170403_085512.jpg
箕面川の土手には一面の菜の花

P_20170403_085751.jpg
民家の植え込みのユキヤナギ

P_20170403_090138.jpg
蕾ばかりの桜並木の中で一本だけ花をつけ始めていました

P_20170403_090319.jpg
道沿いの畑のツバキ

 * * *

ついでながら3月のことを少々

重要文化財にも指定された奈良少年刑務所の見学会に参加
建設された当時のままほとんど原型で残っていることに驚きを覚えます
放射状の監獄棟は監視には適しているとも、音声などが全棟に響き渡るのが難点であったとか
印象的なのは各所の鍵 新しい扉の鍵も見慣れぬタイプの厳重なものでしたが、房室の分厚い木製扉の鍵は何といっても印象的
それとともに外壁に露出で走り回る配管類もまた凄まじいもの
建設当時にはなかった給排水設備なのですから房舎の煉瓦の外壁に走り廻るのは致し方ないとしても、房室の数だけ走り回るのでその数たるや半端ではなく、しかもこういった施設ゆえそれらの配管に鉄条網が巡らされ・・・これまた大変に印象的
見学会の前の週には設計者のお孫さんであり保存に大きく働いた会の会長である山下洋輔さんがここでコンサートを開いたことを新聞の記事で読み、「うーーーん 建築の見学会よりもそっちの方が・・・」 などと不謹慎に思った次第
先日の3月末でこの刑務所は閉鎖されましたが、今後どのように活用されるのでしょうか?
建物の造りが造りだけに興味あるところです
なお、奈良少年刑務所は他の地へ移転するのではなく、単純に閉鎖とのこと
日本の社会の少子化に伴い、少年刑務所の受刑者も減少しているためなのだそうです
こんなところにも少子高齢化の影響が!

20170316narakangoku (1)

20170316narakangoku (2)

20170316narakangoku (3)

20170316narakangoku (4)

20170316narakangoku (5)

 * * *

もう一件
万博記念公園内のEXPO'70パビリオンで先週から始まりました「建築の記憶-大阪万博の建築」展と、その記念対談会へ行きました
常設展と併せて展示を見ると、パビリオンの建築でいかに当時冒険的野心的な試みがなされていたか と感じます
岡本太郎さんの太陽の塔が当時も今も万博を象徴していることは間違いないですが、実験的な試みという点では当時30代前半であった黒川紀章さんの凄さを改めて思い知らされます
そしてまた、ついこの前までまだ当たり前に建っていた (と感じていたのですが解体撤去されてもう15年も経っていたのですね びっくり!) エキスポタワー 今回の展示でも大きく取り上げられていましたが、なんとも未来的で格好いい
実は恥ずかしながらほとんど意識したことはなかったのですが、太陽の塔ときちっと軸線上で正対していたのですね
棟のデザイン自体が非対称性を持ったものでしたので、そのような強い軸線上の操作を感じたことがなかったのですが、丹下健三さんの全体配置計画ならば当然中心軸が強く意識されていたのでしょうけれど、菊竹清訓さんは受け止めつつもさらりとかわした?

対談では、橋爪さんが20回以上万博を訪れパヴィリオンを残らず見た (いえ、残らずスタンプを集めた) と仰っていましたが、当時の地元の小学生ならではですね
大学に入学したころやはり地元大阪出身の友人たちは同様に10回20回見たと言っていましたっけ
しかも人の波がひいてくる夕方近くから入場して悠々見て回ることの繰り返し と・・・
当時愛知県の小学生であった私は一度だけ
もちろん一度でも連れて来てもらえれば万々歳!でしたが・・・
けれどもうれしかった記憶よりも ともかく暑かったことと人だらけであったことばかりの思い出
太陽の塔の内部を見て腕から大屋根に出てきたこと
延々並んだ三菱未来館 やっと入り口までたどり着いたかと思えば入り口に入らず裏手 (だったか?) にさらにずっと列が廻っていてげっそりしたこと
などを思い出します
もちろん人気パビリオンのソ連館 アメリカ館には近寄りもせず・・・
私が大学へ入学した頃はまだ万博の記憶も新しいものであったと思いますし、何よりもお祭り広場のスペースフレームの大屋根がまだ残っていたのですね
意識の高い友人が解体撤去工事を見に行ってそのジャッキダウンの様を興奮気味に話してくれたことがありましたが、当時私はそれにもピンとこずボンヤリしておりました
新入生歓迎で、上回生の人たちに万博公園内にまだ出来て新しい民博の見学会に連れて行ってもらったのですが、いつの事だったのでしょう?その時にはすでに大屋根はなく 現在同様スペースフレームの一部のみが残してあったように思いますが、とすると一回生の春ではなかった?・・・

現在の万博公園には当時の面影は残念ながら数えるほどしかなく 夢の跡地 としか言いようがありませんが
日本全体も 建築のデザインも技術も思潮も 夢と熱気に溢れていた あんなことはもう再びは起こりえないのでしょうか?
対談では大西若人さんが 次回大阪万博招致を務める橋爪紳也さんに、70年万博の建築をもう一度再現して欲しい旨のことを仰ってましたが、懐古趣味ではなく今建てても新しく刺激に満ちたものである と思います
同世代でありながらほとんどパビリオンに接することなく終えてしまった私としては、何十年遅れかでも同じ体験を取り戻したい という気分
もちろん残念ながら小学生の感受性を取り戻すべくはありませんけれども・・・

20170326expo (1)
会場の旧鉄鋼館(設計 前川国男) 前川さんらしいというか浮ついた祝祭的な気分一切なしのパビリオン
20170326expo (2)
模型を見ると軸線がよくわかります

 * * *
(翌朝の追記です)

昨日一日のうちで桜も一気に開きました
朝は まだまだ・・・ という感じでした枝垂桜も帰りには見事に満開で、前のお店の方がライトアップしてくださっていました
今日も暖かな好天 ソメイヨシノもじきに一気に開きそうです

P_20170403_204219.jpg
  1. 2017/04/03(月) 13:46:18
<<2017新緑 | ホーム | 東京建物巡り & 「足跡姫」 2017.02>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tetsuyakimura.blog31.fc2.com/tb.php/523-e63fe2dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)