建築の眼 JAZZの耳 ; tetsuyakimura_weblog

木村哲矢建築計画事務所 木村哲矢 が  見たこと 聴いたこと 感じたこと

「アンチゴーヌ」 と 「アンティゴネ」

先に観劇していたく感激しました舞台 「アンチゴーヌ」
その脚本を読みました
今回の舞台のための岩切 正一郎さんによる新訳は (まだ?) 出版されておらず 図書館にありました

アンチゴーヌ アヌイ名作集
「アンチゴーヌ アヌイ名作集」 アヌイ/著 芥川比呂志/訳 白水社

版です 加えて 原作の

アンティゴネ ソポクレス
「アンティゴネ」 ソポクレス/著 福田恒存/訳 新潮文庫

と 同じく改作の

アンティゴネ ブレヒト
「アンティゴネ ソフォクレス原作・ヘルダーリン訳による舞台用改作」
ブレヒト/著 谷川道子/訳 光文社古典新訳文庫

を手に取りました
それぞれに面白く また 二つの改作はともに第二次世界大戦を経て
一方は ナチスドイツ占領下の1944年のパリにてフランス人作家により
他方は ドイツ側 といっても戦時中はアメリカに亡命しており 戦後東独ベルリンにてドイツ人によって1947年に書かれた という
その反映もまた興味深いものでした
それら3作は 細かなところまで含めればかなり異なるところがありますが
大きな点では アンチゴーヌをとりまく主要な登場人物の造形がまったく異なり それがアンチゴーヌの造形や物語の意図をそれぞれに形作っています

■王クレオン の人物像

ソポクレス原作ではゆるぎない国王 迷いのない絶対的な支配者 です
みずからの裁きを疑うことはありません
けれどもまた 自らを超えた 神 の裁きには従う人物です
そして 結末では神に逆らった報いとして 神によって不幸へと導かれていきます

ブレヒト改作では暴君・侵略者として描かれ ナチスドイツ=ヒトラーが重ねられています
そして 他の二作では敵を退けてテバイ (テーベ) の存続・繁栄は保たれていますが
この改作の結末では テバイは侵略戦争に敗れ 王とともに国も亡びることが暗示されています

それに対してアヌイ改作では
クレオンもまた一人の人間であり 支配者であるとともに人間としての悩み・葛藤も持ち合わせています
「そもそも王などにはなりたくはなかった」人物です
「音楽を愛し、美しい装丁の本を愛し、テーベの町の小さな骨董屋をひやかしながらの長いそぞろ歩きを愛していた」 人です
権力 というものにも魅かれず 王の支配もまた 労働 として描かれる
「仕事にとりかかろうとする労働者」 であり 結末では「みんなはけがらわしい仕事だというが、もし私がそれをやらなかったら、いったい誰がするのだね。」
と アンチゴーヌとともに息子エモンと妃ユーリディスとを失ったのち 悲しみのなかでもまた 王としての日常=閣議にとぼとぼと戻っていきます
人生の苦悩を知る孤独な国王であり
ちいさなアンチゴーヌ が大きく 大きな国王が卑小に描かれています

■アンチゴーヌの二人の兄の性格と死の経緯

オイディプスが王位を去った後 その二人の息子が一年交代で国を治めることとなりましたが 兄が一年を経ても弟に支配を譲らず 追放された弟が報復の軍を率いて攻め入り 兄弟が相まみえてともに果てた というのがソポクレスの原作です
これが アンティゴネの物語りの発端となっていきます
国を守るために戦い戦死した兄は丁重に葬られ 祖国に弓を引いた弟の屍は野にさらされます

それに対してブレヒト改作では 二人の兄はともに侵略戦争の犠牲者として描かれています
ナチスドイツが鮮明に反映されています
侵略者クレオン王の命で侵略戦争の戦地に送られた二人は 長兄は戦死し それを見た次兄は戦争への恐れと嫌気からの逃走の末捕らえられ 王クレオンによって刺殺されます
軍人として祖国のために戦い戦死した兄は葬られ 逃亡兵である弟の遺体は打ち捨てられます

アヌイ改作ではソポクレス原作の設定をそのまま引き継いでいます
ところが アヌイは二人の兄にとんでもない性格を与えました
いずれもとうてい君主には値しない 「二人のごろつき」 「手のつけられない道楽者」 「二心を持った放蕩息子」であり
二人がそれぞれに父王を暗殺し国を売ることをたくんでいたのです
そのような二人を たまたまクレオンが統治の必要上 「二人の中の一人を英雄に祀り上げる必要を感じた」 だけであったのです
しかも 丁重に葬られた長兄の亡骸 と 野にさらされた次兄の亡骸 とは 実は
「見分けがつかなかった」 「二つの死骸のうちまだしも損なわれていないほうを収容させて国葬に付し もう一つをその場所で腐ってゆくのに任せるように命令した どちらがどちらだかこの私にも分からない そして私にとってはどちらでも同じことなのだよ」
「こんな情けない物語」 とすることで 次兄の亡骸を弔うというアンチゴーヌの命を賭した美しい行為の意味をものの見事にはぎ取ってしまいました

■アンチゴーヌの姉 (妹) イスメーヌ
イスメーヌ (イスメネ) は ソポクレスの原作でもブレヒト改作でも アンティゴネの妹とされています
アンチィゴネは 道理を妹に諭す毅然とした姉であり イスメネは臆病な妹です
それに対してアヌイ改作では姉となっています
世の常識・世渡りの知恵を身に着けた姉に対して 気持ちの純粋さをたもっている妹アンチゴーヌです


そして 原作ではもっとも主要な登場人物(?)である
■神 の存在/不在
の問題があります

ソポクレス原作 「アンティゴネ」 においては 神の存在が絶対的です
王クレオンは 神の裁きには従い 劇の結末にてアンチィゴネを救おうと試みます
あくまで神に逆らった行いを正すため 神の怒りを避けるためです
そして アンティゴネもまた 兄の亡骸を弔おうとするのは 王である人間の定めた掟よりも その上位に位置する神の掟に忠実であろうとしたからでした
クレオンもアンティゴネもいずれも神の意志の上で行動しているという点では同じようなものかもしれません

それに対して改作では神はいなくなり あくまで人間の物語りとして描かれています

このようにさまざまな手が加えられて
ソポクレスの 「アンティゴネ」 は アヌイの 「アンチゴーヌ」 となりました
そしてあの息詰まる アンチゴーヌとクレオンとの二人によるセリフの応酬が胸に迫ってくる物語となりました
神の御心 では片付かない 人間ならではの いずれの立場をも絶対とはみなせない葛藤の物語りであるからこそ
観客もまた物語りに引き込まれ 思い悩む一人となります

それぞれの脚本を読んで ようやくみえてくることが多くあります
このうえで出来ればもう一度舞台を観たい と願えどももちろんすでに公演は全日程終了

けれども幸いNHK-BSプレミアムステージにて4月に放映される予定です
ストーリー・演技とともに あの特殊な十字形の舞台をどのように切り取っているのか カメラワークもまたとても楽しみです
  1. 2018/03/11(日) 14:19:27
<<「山本忠司展―風土に根ざし、地域を育む建築を求めて」 | ホーム | 小曽根真 & 児玉桃 ピアノ・デュオ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tetsuyakimura.blog31.fc2.com/tb.php/545-d272a4c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)