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木村哲矢建築計画事務所 木村哲矢 が  見たこと 聴いたこと 感じたこと

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「旧小西家住宅」(旧小西儀助商店)

明治後期の大阪を代表する町屋、「旧小西家住宅」(旧小西儀助商店)の見学会に参加してきました。
私が当初事務所を借りた北浜の青山ビル(大正10年築 旧野田源次郎邸)から堺筋を挟んで斜め南東の黒漆喰の大商家、前を歩くことは度々でも、内部を拝見しましたのは今日が初めてでした。
最初に大阪の近世以降の町の形成と町屋の特徴、そしてこの小西家についての解説を、同じく北浜に位置する江戸末期の町屋である緒方洪庵旧居・適塾との比較で分かりやすく講義を頂きます。大阪は南北の道を「筋」、東西を「通り」と呼び、メインストリートである「通り」を中心に「町」が形成されてきた由、現在は御堂筋など南北の街路がメインのように感じていますが、本来は脇道、近代化の過程での変遷なのでしょう。
明治36年完成のこの町屋、境筋に面する黒漆喰の変化に富んだ側面が並木に映えますが、これは明治44年の市電開業に伴う堺筋拡幅によって切られた跡との事、あくまで正面は南の道修町に面しています。

konishi01.jpg

さて正面から中に入ります。表の土間をくぐるといったん屋外の表前栽を経て玄関に至ります。京都の角屋などが圧倒的に美しい例でしょうが、このような表前栽の空間の美しさと、玄関への心理的な効果には、いつも感心させられます。そして玄関を潜れば通り庭の土間空間。とても高い天井に豪壮でありながら非常に端正な小屋組みが広がっています。しかし、あくまで南北に長い通り庭ですので飛騨高山の吉島家のように空間的な広がりの中に映える小屋組みという印象ではありません。キチッとした印象です。

konishi002.jpg

それにしても内部の空間は、適塾でも感ずるのですが、このように座敷と庭とが一体感を持って親密にかつ凛としてあり、これがこの大阪の街中にあることに不思議な感動を覚えます。外部に対しては商家としての顔を形成しつつ、内部の座敷は北と南を丁寧にしつらえた中庭ではさまれて通風採光と拡がりと、そして美を豊かに獲得しています。密集した市街地においてもこのような巧みな空間構成によって独自の自然と一体となった空間が実現されていることにいつもながら驚かされ、あるいは現代の都市の住まいに対して叱責を受けているように感じます。
細部の意匠も、華美さはありませんが、しかし見ればとても凝ったもの、実に手の込んだつくりです。1階の座敷の欄間の斬新なデザインにはまず眼を奪われましたが、床正面2間半の間口いっぱいの落とし掛小壁には長押が廻っているのにもびっくり、そして書院に目を凝らせば障子上部の小壁部分、格子状のスリットが竹をスライス状に薄切りして奇数で組み合わせて挿入していることには一層驚かされました。

konishi004.jpg

この旧小西儀助商店、平成6年まではここで営業され、この1階座敷は社長室として使用されていたそうです。(平成6年と言えば丁度私が青山ビルに事務所を開いた年です。)
翌平成7年1月には阪神淡路大震災でこの建物にも大きな揺れが襲い、増築部分や附属棟には被害を受け、現在も一部は未補修のままでしたが、母屋は大きな損傷も無かったそうです。隣接する三越大阪店は壁面にX字のクラックが随所に入り、解体を余儀なくされました。(幸い青山ビルは損傷もありませんでしたが、小西家と堺筋を挟んで建つビルでも外観にも大きく地震の爪痕が残り、この地での震度の大きさが伺えました。三越にはいつも惣菜売り場に夜食を買いに行っていましたが、大理石の華麗な階段吹き抜けや蛇腹式扉の重厚なエレベーターなど、今では目にすることが出来ないのが残念です。この三越の解体での振動がまた大変で、小西家の壁面にも随分とクラックや剥離が生じたそうです。)

道路拡張による軒切り・戦災・震災、そして一番恐ろしい人為的・経済的な幾多の危機を越え、また、楼閣の撤去などの幾多の変遷も越え、静かに建ち続けている旧小西家住宅、現在は前面一部を関連会社の事務所として利用している以外は社員の福利厚生で僅かに使用する程度なのだそうです。大阪の一等地にあって木造二階建ての町屋の社屋は、バブル期にはそれこそ経済の専門筋から資産のムダと散々に言われ高層オフィスへの建替を意見されてきたそうです。しかしながらそれらを頑としてはねつけ、社屋としてはほとんど使用しなくなった現在では、国の重要文化財指定を受け(平成13年指定)あくまで社の創業地としてこの建物を残すことを使命とされているとの事、その高邁な精神には心を打たれます。不動産=金銭と言う尺度で推し量れば随分とこの社にはロスが生じていることでしょう。建物の改変に様々な制約の生じる重文であれば国も維持管理を大いに支援すべきでしょうが、現実にはほとんど援助も無いとの事。そのようななかで高い文化精神を貫いているこの会社は、私も模型つくりではいつもお世話になっています「ボンド」のコニシです。

尊い精神にすがるのみではなく、社会の意識や仕組みが働いて、この小西家が、そしてもちろん他の愛すべき建物達も維持管理され伝えられていくことを望みます。
また、小西家が遺跡ではなく現役の建物として活用され、生きた建物として伝えられていくことを切に望みます。

(追記)
小西家の2階のトイレ、とても不思議な洋風便器が据え付けられていました!奥行き方向は通常サイズなのですが、幅が現状の便器の1/3位?ともかく妙に細長い馬の顔のような形で、ご説明頂いたコニシの管理部長の方も「どうやって使うのでしょうか?わかりません・・・」
なんでも大阪でも設置が一番か、という水洗便所なのだそうで、それが現存しているわけなのですが、実に不思議な形、おかしくておかしくてつい写真を撮り忘れてしまいました。小西の代々の方はとてもハイカラなのだそうで、当時最新のこの便所を誇り高くもちょっと困り顔でお使いの様子を想像すると、つい笑えてきてしまいます。掲載できないのがとても残念です。
  1. 2008/10/18(土) 23:51:36
<<銀杏 その2 | ホーム | ニューヨークの秋>>

コメント

私もこの小西邸の見学会、行われる日を調べて行ってみたいです!!
もし、私が参加したら、是非ともコニシの管理部長の方に、サニスタンドのこと教えてやりたいです(笑)
しかし、小西邸は明治36年築に対して、サニスタンドの生産開始は昭和26年。とても竣工当初から据え付けられていたとは思えませんから、後年になってから据え付けられたのでしょうかね・・・。しかし、国立競技場ではあるまいし、なぜサニスタンドが必要だったのでしょうか?? 不思議です。
  1. 2016/03/05(土) 23:07:02 |
  2. URL |
  3. KasaYohachi #-
  4. [ 編集]

小西家見学会

KasaYohachi さま

> 私もこの小西邸の見学会、行われる日を調べて行ってみたいです!!

旧小西家住宅は、重文民家であるとともに企業の現役の社屋ですので、見学の機会はまれですが、例えば最近ですと大阪市が行った「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」という建築のイベントで公開されました。2015年10月末の土日二日間のイベントでしたが、今年の秋も開催されれば、小西家も見学の機会があるかもしれません。
ご参考までに・・・
  1. 2016/03/09(水) 13:40:35 |
  2. URL |
  3. tetsuyakimura #-
  4. [ 編集]

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